ハルウララの戦績や死因の疝痛(せんつう)って何?武豊のコメントも気になる!

日本中を熱狂させた「負け組の星」ハルウララ。
113連敗という前代未聞の戦績で知られ、
武豊騎手の騎乗によって社会現象にまでなったある意味有名なお馬さんでしたよね!

 

そんなハルウララが2025年9月9日、
千葉県御宿町の牧場「マーサファーム」で29歳の生涯を閉じました。
死因は馬にとって最も恐ろしい病気の一つ「疝痛(せんつう)」。

 

この記事では、疝痛とはどんな病気か、
予防法、ハルウララの戦績、そして社会に与えた影響を詳しく振り返ります。

 

ハルウララの死因は「疝痛」

ハルウララ 競走馬 画像①
出典元:https://note.tokyo-sports.co.jp/n/n3f73ba169c51

 

疝痛とはどんな病気か

疝痛とは、馬の消化器官で起こる激しい腹痛の総称です。
腸にガスが溜まったり、消化がうまくいかず腸の動きが止まることで発症するみたいです。

 

人間であれば吐くことで対処できることも多いですが、
馬は体の構造上「吐けない動物」であるため、
ガスや食べ物が体内にとどまってしまい、命に関わる事態になりやすいのです。

 

実際、疝痛は競走馬の死因で最も多いとも言われています。
運が悪ければ数時間で命を落とすこともある恐ろしい病気です。

「8日の朝に糞をしていなかったので獣医さんを呼びましたが、
夜の間に容態が急変しました。本当に残念でなりません」

(マーサファーム代表 宮原優子さん / FRIDAYより)
引用元:FRIDAYデジタル

名馬も命を落とす危険な病

疝痛で亡くなった名馬は少なくありません。
日本ダービー馬のウイニングチケット、サニーブライアン、ロジャーバローズも疝痛が原因でした。
つまり疝痛は「弱い馬の病気」ではなく、
トップクラスの馬ですら避けられない宿命ともいえます。
ハルウララもまた、この病の犠牲となりました。

 

本当に残念ですよねぇ。私は直接のファンではないものの、
動物は大好きなのでこういうニュースはなんだか気になってしまいます。
言葉がしゃべれない分、何か伝えたいことは無かったのかなぁ
とか感がちゃうタイプです・・・・悲しいですね😢

 

疝痛を防ぐための飼育管理法

ハルウララ 競走馬 画像②
出典元:https://uma-furi.com/micromagazine-8/

 

食事と運動の管理

疝痛の原因の多くは「飼料管理の不備」や「生活リズムの乱れ」です。
例えば、一度に大量の飼料を与えたり、水分が不足すると、消化器官に大きな負担がかかります。

 

予防のためには以下の点が重要とされています。

CHECK POINTS👇

決まった時間に少量ずつ与える「分割給餌」
新鮮で清潔な水を常に与える
適度な運動を習慣化し腸の働きを活発にする
粗飼料(牧草)を中心に与える

 

牧場では毎日の「馬糞チェック」も欠かせないみたいですね。
なぜなら排泄が止まることは疝痛のサインのようだからです。

 

発症時の対応

疝痛を発症した馬は、落ち着きがなくなったり、
横になって転げ回る、腹を蹴るといった行動を見せます。
これは痛みのサイン」であり、見逃せないようです。

 

初期の対応は

「獣医師をすぐ呼ぶ」
「歩かせて腸を動かす」

が基本ですが、ハルウララの場合、歩かせようとすると
「イヤだ、歩きたくない」と拒否してしまったそうです。
29歳まで生きた彼女らしい、最後まで自由な姿勢だったのかもしれません。

 

ハルウララの戦績を振り返る

ハルウララ 競走馬 画像③
出典元:https://www.sankei.com/article/20250909-DZIP6X2OSRKOHOKZ7YSDPK5A7Q/

 

113連敗の記録

ハルウララは1998年11月、高知競馬でデビュー。
そこから7年間、引退するまで一度も勝つことなく走り続けました。
その戦績は 113戦0勝

 

普通なら数戦で引退させられる成績ですが、
彼女はなぜか「負け続けても走り続ける馬」として注目されました。
地方競馬の存続が危ぶまれる中、逆に話題性で多くの人を呼び込み、
競馬場に活気をもたらしたのです。

 

武豊が騎乗した大一番

2004年3月、高知競馬場で「奇跡の一戦」が行われました。
日本を代表する名騎手・武豊がハルウララに騎乗することになったのです。
当日は1万3000人が押し寄せ、入場制限がかかるほどの異常事態に。

 

結果は10着でしたが、「武豊を乗せても勝てない」という逆説的な伝説を残し、
ハルウララは国民的アイドルへと押し上げられたようです。
これを聞いたらどんな競馬ファンも納得するでしょうねぇ。
競馬ファンじゃない私でも知っている超有名騎手・武豊さんでも勝てないんじゃしょうがないです(笑)

 

武豊のコメントは?

ハルウララ 武豊 画像
出典元:https://www.chunichi.co.jp/article/1130034

かつて“日本一有名な勝てない馬”として名を馳せたハルウララ。
その名が全国に知れ渡ったきっかけの一つが、
2004年に名手・武豊騎手が騎乗したことでした。

そして今回、ハルウララの訃報を受けた武豊さんは、以下のように語っています。

「びっくりしました。そんなに前じゃなかったですよね、乗ったの。時間が経つのは早いなと感じました」
──(引用元:Yahoo!ニュース

武豊さんが騎乗したのは2004年、今から21年前も前の出来事なんですよ。
しかしそれでも「そんなに前じゃなかった」と感じるあたり、
ハルウララが放った存在感の大きさが伺えますよねぇ。
武豊さんに憶えていてもらっててハルウララも嬉しいでしょうね。

さらに、騎乗時を振り返りながら、こう続けました。

「めちゃくちゃ人気があって、当日もすごい人だったのを覚えています。
普通のGⅠでもあそこまでは集まりませんよ」

この言葉からも、当日の高知競馬場に1万3000人が押しかけた
“異常事態”がどれほどのものだったかがわかります。

さらに武豊さんは、ハルウララの生涯について、
こんな優しい言葉も残しています。

「みんなに注目されて、かわいがられて、幸せな馬だったと思います」

一度も勝つことができなかったハルウララですが、
多くの人に愛され、支えられた人生(馬生)だったことに、
騎手としてもひときわ強い想いを抱いていたのかもしれませんね。

 

ハルウララが社会に与えた影響

ハルウララ 競走馬 画像④
出典元:https://rha.or.jp/topics/20240909_001.html

 

「負け組の星」としての共感

2000年代初頭はリストラや就職氷河期で社会が閉塞感に包まれていた時代。
そんな中、「負けても走り続ける」ハルウララの姿は、
多くの人に希望を与えました。

勝てなくても、頑張り続けることに意味がある」

――彼女はそんなメッセージを体現していたのです。

 

馬券は交通安全のお守りに

「絶対に当たらない馬券」として有名になったのが、ハルウララの単勝馬券。
高知競馬では記念品として売り切れ続出、
交通安全のお守りとして財布に入れる人もいました。
結果的に数十億円規模の経済効果を生み、
地方競馬を救った存在とも言われています。

 

ウマ娘で再び脚光

近年はゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』にキャラクターとして登場。
負けても笑顔で走る姿が若い世代の共感を呼び、再び脚光を浴びたみたいです。
2025年には海外版がリリースされ、アメリカやヨーロッパからもファンが
牧場を訪れるようになったほど。ハルウララは国境を越えて愛される存在となったのです。

 

勝ち続けることももちろん凄いんですが、
負け続けてもこの諦めない姿勢が
国境超えて海外の競馬ファンの胸を掴んだんだみたいですね。
いやぁ、もう遅いですけど、もっと早くハルウララのことを知っていたら
一度でも会ってみたかったです・・・

 

まとめ

ハルウララは「113連敗」という異例の戦績で、
負け組の星として日本中に勇気を与えました。
死因となった疝痛は、馬にとって最も危険な病の一つ。
武豊騎手の騎乗や社会現象となったブームを経て、彼女は競馬史に確かな足跡を残しました。

 

「勝つことがすべてではない。走り続ける姿こそが人を感動させる」
――ハルウララの物語は、現代を生きる私たちにも大切なメッセージを残してくれてくれましたよね!

 

今回も最後まで読んで頂きありがとうございました!